備忘録 〜読書と映画と、時々推しと〜

NEWS・作家 加藤シゲアキくんのファンです

夜と霧 V・E・フランクル 初めて読んだ

著者のフランクルオーストリア精神科医であり、ナチス・ドイツ政権により強制収容所に入れられた人物です。彼は最後まで生き残ることができた数少ない囚人の一人でした。

初めて読みましたので、備忘録的に、まずは心に留めておきたいことを書こうと思います。

人を愛すること

人を愛するということは、目の前に実在せぬとも、その人が実在しているかどうかは関係ないということがP125に記載されていました。その人を思い、幸せであって欲しいと願うということ。それが愛することなのではないかと本文から思われます。実在しなくても良いというのは少し大袈裟かもしれません。

しかしこの事柄について考えていると、その人に会いたい、触れたいというのはあくまでも自己の中の欲求であり、相手を思ってのことではありません。愛と整理的欲求というのはやはり区別して考えねばならないと実感します。

そうなると、現代の二次元アイドルを好きになる人の気持ちも好し理解できます。存在しなくて良い、その人が幸せでいてくれたら自分も幸せであるということ。私自身もシゲアキく君のファンであり、彼は存在しているけど彼とデートをすることは出来ない。それでも、日々の出来事に一喜一憂し、自分の気持ちが満たされていく。これは、決してばかに出来ないことです。

厳しい状況で存在し続けるために

内的な自由は脅かされないということはつまり、唯一の自由があるということ。現実はひどく、身体的にも弱り果てていこうとも、精神活動までは支配されることはない。しかし内的にも崩壊し身体的にも心理的にも崩壊すると人は動けなくなる。

彼は自己を放棄したのである。p179

勇気と落胆、希望と失望というような人間の心情の状態・・・失望と落胆へ急激に沈むことがどんなに致命的な効果を持ち得ることを知っている

未来に対して期待があること、目的があること、自分自身について存在の意義を理解できていることは生命を維持することにとても重要であると述べています。

現代でも厳しい状況で希望を持っていろと言うのは、もしかしたらクレームが飛んできそうなことかもしれません。ただ、やはり個人としてはこの精神は同感しています。私しじんも失敗については恐れず、ほかに方法があると思い、無謀な挑戦も挑むタイプです。この「未来に期待」と言うことが挑戦を後押ししてくれていると思います。

九 深き淵より

強制収容所から解放された囚人の心理について、心理的緊張から解放された人々は、いわば離人症のような状態になったと述べています。

離人症とは現実に目の前にあるものが現実的なものとして認識されない状態のことです。永遠に続くのではないかと、思いながらも心のどこかで未来を見て、生き抜くことを夢見ていた過酷な日々が急に止まった時、脳内は麻痺していたのだと思います。

やっと現実を受け入れられるようになった最中、囚人とならずに生活できた人には受け入れられない。自分が思い描いていたような形で、彼らを受け止めてはくれない。彼らが受けた苦悩を償ってくれる人はいないと言うことに気づかされたと言うのです。