備忘録 〜読書と映画と、時々推しと〜

NEWS・作家 加藤シゲアキくんのファンです

「寝ながら学べる構造主義」について

こんにちは。本日紹介する本は

内田樹著、文藝春秋「寝ながら学べる構造主義」です。

シゲアキ君が2020年8月に発売された「Newsweek」で紹介していました。

哲学のお話しです。哲学と言えば、ソクラテスニーチェなど聞いたことがある人も多いと思いますが、昔の人々が「人とは何か」ということについて色々考えきました。人というものに対する概念ということだとざっくり理解しています。

構造主義というのは割と近代的な考え方です。そのため、理解することで、今を生きる自分というのは何か。または人とは何か。ということを俯瞰してみることに役立つと思います。シゲアキ君も”物や人を理解できる”という目的で読まれたようです。

どの程度寝ながら読めるのか

寝ながらと言いますが、正直いうと無知な身からすると2回読んで少し理解できました。私は臨床心理士という立場で仕事をしているので、一応哲学の本を読んだ過去はあるのですが、いかに流し読みしていたかが今回発覚し、猛省しています。そんな理解が拙い状態ではありますが、少しでも多くの方に興味を持ってもらいたく、感想を書いています。是非最後まで読んでみてください。

構造主義とは

人間は他者の考えや行動に「これはおかしいな」「この人たちは、なぜそのような角度でしか物事を考えられないのか」など思うことはあります。この思いや考え方などは今私たちが「この時代」「この地域」に生まれて生きているからこそ起こる物ということ。

ときに自分独自の主体的な考えを導き出していると思うことが、実はすでにある型の中で生成された物であるということ。

だからと行って、自分自身に落ち込む必要はなくて、この世界で生きてこの世界で考えていくことに意味があるのだと思います。

本文から引用を載せます。

私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、考え方を基本的なところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由にあるいは主体的にものを見ているわけではない。むしろ私たちは、ほとんどの場合、自分が属する社会集団が受け容れたものだけを選択的に「見せられ」「感じさせられ」「考えさせられている」。そして自分の属する社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく、それゆえ、私たちの感受性に触れることも、私たちの思索の主題となることもない。

内田樹(2002)文藝春秋「寝ながら学べる構造主義

構造主義が出来上がるまで

この構造主義を構築していく元となるような先人を三人紹介しています。

マルクス

フロイト

ニーチェ

マルクスは、人間が「自己意識」という、自分とは何者かということを直感するためには、まず何かを産み出すこと=「労働」が必要であり、何かを行動することにより初めて意識されると言います。

また、人間集団の中に身を投じる。その先に、自分というのはどんな存在なのか知ることができるとのことです。

 

フロイトは、「抑圧」という心のシステムを考えました。人間の心には「番人」がいて、番人が当人の思考を仕分けしているというのです。

見事仕分けにおいて「意識」に上がるものを人間は思考していると読んでいます。だから、実は自由に思考しているようで、そうではないとのことです。

 

ニーチェはこの3人の中では一番現代でも想像がしやすい考え方だと思います。ニーチェは 他人と同じように振る舞うことを目的と生きている人を「畜群」と呼びました。

さらに、その行為に幸せを感じる人々のことを「奴隷」とも言います。そして「奴隷」ではない人を「貴族」や「超人」とよんだそうです。

ニーチェは貴族や超人になるための方法を説いてはいないようですが、本書では内田さん独自の見解が書かれています。

構造主義から学べること

日本という国で生まれてたということが、ある一つの構造の中に生み落とされたとも言えます。その構造の中にいることで”社会集団が無意識的に排除してしまったものは、そもそも私たちの視界に入ることがなく”疑問に感じることもなく受け入れてしまいます。

つまり哲学というのは、この視点を知ることに意味があるのだとも思います。

しかし実際、「無意識に排除されているものを、どうやって視界に入れるのか。」矛盾を孕んでいます。ここが哲学の出番です。

だからニーチェが言うように、まずはこの構造を理解する。そしてその中で生かされていた事実に嫌気がさし、うんざりし、もがく。結果として貴族や超人になれる。