備忘録 〜読書と映画と、時々推しと〜

NEWS・作家 加藤シゲアキくんのファンです

カミュ「異邦人」を読んで

 

こんにちは。今回はカミュの「異邦人」について紹介したいと思います。

シゲアキ君お勧めです。

2021年発売の「ダ・ヴィンチ」で何度も読み返し絵いると話しています。”明晰で淡々とした主人公の語り口”と表現して、短い文章でこれだけ人の感情を表現できることに驚きを持っていると話しています。

異邦人 とは

1942年に刊行された、アルベール・カミュによる作品です。ノーベル文学賞作家です。日本では新潮社より出版されています。”きょう、ママンが死んだ”から始まります。主人公のムルソーは、離れた場所の養老院に暮らす母が死んだことを聞き、仕事を休み母に会いに行きます。しかし母の顔見ることなく、涙を流すことなく過ごします。翌日には、マリイとデートをします。数日後に、友人がアラブ人と揉めて、追われていることをしります。そのアラブ人を銃で5発打ち殺します。そして刑の裁きを受けます。

一度読めば好きになります

一度は読むことを非常にお勧めします。理由は明確で、短い話のためすぐに読めること。そして、一度読めばまた読みたいと思わせる何かに出会えるため。

感情は載せられていません。ムルソーにの目線で、事実だけが淡々と述べられています。彼の思考は語られています。

太陽の光はほとんど垂直に砂の上に降りそそぎ、海面でのきらめきは耐えられぬほどだった。

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ムルソーと太陽

太陽はいま圧倒的だった。砂の上に、海の上に、ひかりは粉々に砕けていた。

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われわれは眼も伏せずに互いにながめ合った。ここでは、すべてが、海とすなと太陽、増えと水音との二つの静寂との間に、停止していた。

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顔のうえに大きな熱気のを感ずるたびごとに、歯がみしたり、ズボンのポケットのなかで拳をにぎりしめたり、全力を尽くして、太陽と、太陽があびせかける不透明な良い心地とに、打ち克とうと試みた。

友人に怪我をさせたアラビア人と遭遇した時

それはママンを埋葬した日と同じ太陽だった。

太陽から逃れようと、体の位置を変えるムルソーです。アラビア人が持つ刃に太陽と光が跳ね返り、ムルソーの額に迫りました。

このように、ムルソーにとって太陽が何を意味するのか、どうしてアラビア人を殺したのか、そんな点を何度も読みながら自分なりの解釈を持っていくことが楽しく感じられると思います。

ムルソーという人物について

色々と考察は考えられていて、サイコパスではないかという意見もあったりします。自分としては、感情表出が非常に苦手な今でいう発達障害に該当する人物ではないのかと思います。悲しいということは肌で感じているけれど、なんと表現して良いのかわからない。マリイから「愛しているか」と聞かれると、「愛していない」と正直に答えてしまう。結婚することに拒絶はないので、了解する。相手の心情などお構いもせずに、自分の思うことろを素直に話すところです。

二部について

二部では、ムルソーがアラブ人を殺したという事実よりも、母の葬式で泣かなかったことにより罪が確定したようです。判決の時間も予定した時刻とは違いました。そして「フランス人民の名においてというあいまいな観念」から判決されたこと。

こうしたすべては、このような決定から、多くの真面目さを、取り去るように思われた。そうして宣言がなされるや、その効果は私が体を押し付けているこの壁の存在と同じほど、確実な、真面目なものになることを、私は認めざるをえなかった。

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ムルソーにとって、あいまいな、人の感情や感覚で決められる物事に信用はなかったのでしょうか。それに引き換え、死刑執行をするという事実は、とても確かで、明確なものだったのかもしれないと思いました。司祭の話す「神」の不確かさや、そして「神」への強要などムルソーにはうんざりだったようだと感じます。

死ぬことが悲しいと決めつけてかかる司祭がいました。ママンが亡くなった時に勝手に泣いている周囲にいわかんを感じていたのかもしれません。想像の域は出ませんが、ムルソーがこれからあいまいな人生を送るよりも、今「世界の優しい無関心」に心を開いてしにゆくことは、ママンと同様に生きを吹きかすことだったのかも知れません。