樋口毅宏さん「雪国民宿」について
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加藤シゲアキくんが大好きな樋口毅宏さんの作品です。「このミステリーがすごい!」でも紹介されていました。気になっていんたのですが、最近読みました。
樋口毅宏さんの「さらば雑司ヶ谷」は正直いうと途中で断念しました。こちらの「民宿雪国」は個人的にとても読みやすいです。
この書籍のジャンルは何か考えてみた
ミステリーという分野なのか、どの分野と呼べば良いのか困るくらいに謎めいた作品。
読み進めてまず短編小説なのかと勘違いする。”1、吉良が来た後” ”2、ハート・オブ・ダークネス” それだけでも何かワクワクするような想像力をこちらに働かせてくる。しかし”3、私たちが「雪国」で働いていた頃” からどうも話が混乱してくる。どういうことだろうか?という疑問がちらほら出てくる。そして、”4、借り物の人生が続く”「なるほど、どうも話が見えてき始めた」という感覚になり出す。しかし、さらに読んでいくとどうやら私自身もこの謎めいた民宿を取り巻く世界に迷い込んでいく。
話は、丹生雄武郎という画家の人生を描かれているのだが、その描き方というのが一筋縄ではいかない。有名な画家という位置付けなのだが、本書のほとんどを読んでも、そのような印象は全く受けない。つまりは、いかに本書がこの丹生雄武郎の見えない、内部を描いているかということ。
固定概念が通用しないな
自分が元々持っている物差しで読み始めると理解に苦しむ。それは男女や性という概念について特に感じる。何が正しくて、何が間違っているのか。そもそも男と女という概念がバカらしくもなってくる。愛の裏側は憎しみなのか、それとも並列なのか、そんな感覚すら自分が持ち合わせているもので読み解こうとするには無理が出てくる。
そもそも、誰が主人公というものなんかが混乱してくる。小説と見るのか、伝記と見るのか、何が正しのかそもそもの枠組みが読む側になかなか作れない。だから混乱してくる。まさに何度も読むことで味わいが出てくる作品。
テーマは何だったのか
丹生がそもそも「名もない女」に対して思い入れがあるのは、そこに母を見たからだと解釈するのが容易い。このあたりは普遍的なテーマが見られる。しかし、差別的な論点からいうと奥が深くなる。父母という、次元の話ではなく、人種問題など今でいうLGBTのような広いテーマで考えることもできる。人間として生きているから起こってしまう、理不尽な運命に対する絶望感なども感じられる。
そもそも彼は何を守りたかったのか、何をすれば人生が開けるのか、心が救われたのか。何もなく、ただ死ぬこともできずに過ごしていた人生だったような気がする。誰も自分の行為を止められる人もいない。異常なほどの孤独さがある。
生まれた時の自分の運命を変えることは誰にもできず、けどその運命を恨むというよりも、どこか受け入れながら時間をかけて自分を痛めつけていたような気がする。
しかしこの丹生に対して同情はできない。しかし残酷なまでのこの人生や、残酷な行為に怒りを覚えるとかそういう後味ではなく、読み終えた後は、
人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている
この感覚が読み手にも伝わる。
借り物の人生とは
小さい頃から父親や異母兄弟から蔑まれて生きてきた。自分の生い立ちも知りながら、自分とは何かというアイデンティティは育たずに、自分のものかも分からぬ怒りと恨みを募らせながら生きてきたのだろう。しかし、借り物の人生ということは、本来の丹生は「空っぽ」だったということか。空っぽの中に怒りや恨みだけ積み重なってきた身体で、憐れむことや信頼するという感情は育たなかったのかもしれない。