備忘録 〜読書と映画と、時々推しと〜

NEWS・作家 加藤シゲアキくんのファンです

同志少女よ、敵を撃て 直木賞候補作を読んで

本日は、著者:逢坂冬馬 早川書房 (2021)直木賞候補作にも選ばれた「同志少女よ、的を撃て」について書きます。

著者は逢坂冬馬さん 早川書房 (2021)直木賞候補作にも選ばれた作品です。1942年のドイツとソ連の戦争が激しくなる時代。当時のソ連は女性が銃を持ち戦地で戦うということがありました。この主人公セラフィマも同様に、狙撃手となり戦地に向かいました。そんな彼女の人生を戦地での戦いを中心に描いた作品です。

主人公セラフィマと共に読み手の自分も戦地を歩くような感覚にさせられる作品でした。これからもっと多くの人に読まれるだろう作品なので、一つ二つの感想だけ備忘録として残したいと思います。

496ページと長い。主人公セラフィマと共にソ連という国で、狙撃手となり、戦地を共に歩くような感覚を覚えさせられる作品でした。

これからもっと多くの人に読まれるだろう作品なので、一つ二つの感想だけ備忘録として残したいと思います。

女性蔑視というテーマ

この長い話の中で、ジェンダーに関する問題が細く長く語られています。この議論になると心のどこかで、結局この二つが同じラインで語られるのは無理なのかと諦めかけてしまうことが個人的にあります。しかし、1942年戦争真っ只中でセラフィマやイリーナが向き合っていたのならば、女性として力が湧いてきました。

女性性と男性性というジェンダー。今でこそ、この男女の固定観念に関する問題は大きく世界の共通認識になっています。そもそも、1942年当時この女性性に嵌め込まれずに、自信の信念に向き合おうとする人生があったこと自体に非常に驚きました。

対照的に描かれたサンドラとミハイル

彼女たちと対照的に描かれていたのがまず”サンドラ”というソ連の女性です。彼女なりに生きていくには仕方がない選択をしながら戦時中を渡り歩いたのでしょうが、セラフィマからすれば、女性性を活用したずるさが見られたのだと思います。最後にセラフィマたちが、命さながら渡した生きるためのチケットすら、愛する男に渡してしまう。

一方ミハイルは、セラフィマが結婚する可能性もあった男性。男たちの、女性に対する卑劣な扱いを目にしてきたセラフィマからすれば、未来を明るく照らしてくれる存在だったはず。

人が自分と同じである必要はなく、信念や愛や生きる目的などは本当に多種多様だと思うしかないのですね。そう感じました。

敵とはなんだったのか

セラフィマは村の人間があまりに理不尽な形で殺されてしまう現場にいて、救うこともできずに、見ていることしかできなかった。そこに現れたイリーナ。お別れをする間もなく燃やされる母や村の仲間。怒りと絶望感と自責の念が怒り、目的は明確だった。仇を撃つということ。

ただ、次第に自分の中でもそも目的がぶれることを感じていくセラフィマ。人間何かに夢中になると、目的が見えなくなる。

もちろん、明確な目的を持つことが重要な場面も多く存在します。だけれど、時に目的が必要ではないときがある。そんなことを語っている気がしました。打ち込むことに問題はないし、打ち込むことが目的にすり替わったとしてもきっとその先に何かが見えてくるということ。

丘の上から見える景色というのはなんだったのか。

再読するとき、またこれから読む人はそんなことを意識しながら読むと深まりそうです。